今、私達は混沌とした社会の中に生きています。
現代人は祖先達が長年培って来た精神文化をなおざりにして科学万能社会に走り盲信し、又さまざまな誘惑に心奪われ、醜い欲の争い事が絶えない世の中になってしまいました。
誰もがこのままではいけないと思う良心を持ちながら、日々の仕事に追われ流され、心の目を閉じたまま過ごしています。今こそ人は人間本来の良心に立ち返って自らの修養に努め、神より授かった命を尊び、人と人とが互いに感謝し拝み合える心、神我一体の境地になって創(はつ)の代に、すなわち美しい神の国を再び作り修め固め成さなければなりません。
汝等紅白の下に怠眠を貪る勿れ、目覚めて世界の現勢を見よ、
而して汝等神恩に感謝し、神国の使徒となれ。
梅は『神花』といわれ、花の中でも神様が最も愛された花。
梅は実に辛抱強く、いかなる大寒、風雪にも耐え忍び、春の魁として一番に咲く。
花の香りは優雅で気高く、実った実は古来薬として人体に役立つもの。
まさに教えの花なり。
梅は『神花』といわれ、
花の中でも神様が最も愛された花。
梅は実に辛抱強く、いかなる大寒、
風雪にも耐え忍び、
春の魁として一番に咲く。
花の香りは優雅で気高く、
実った実は古来薬として
人体に役立つもの。
まさに教えの花なり。
古乃美教団は、開祖・堀泰一朗(ほり・たいいちろう)大先生が一代で築いた。
明治30年(1897)9月26日、新潟県新井町(現、新井市)に命を授かり、生まれながらにして優れた霊的能力を持ちながらも、幼少時から幾多の辛苦に見舞われ、その苦難を悉く乗り越えた。
その時、大国主大神(おおくにぬしのおおかみ)より、
『創(はつ)の代に還せよとの大御心を体して起てよ。汝、神の名に於いて為さんとしても成らざるもの無し。汝の与えるものは神も与え、汝の取らんとするものは神も又取らん。もし汝の力を問う者あらば答えよ。上に天なし、地に底なし、広さを問わば果てしなし。汝の言行は見えざる神の証なり。汝の魂は護国の神たれ。』
との御神命を受け、昭和10年10月23日釜山において開教したのである。開祖38歳の時であった。
以来、開祖は大神より授けられた偉大な「吹気の神業」(いぶきのかむわざ)を以て、世の荒波に苦しむ者たちを救い導き、神の実在を世の人々に示現し、また皇室の弥栄・国家の安泰・全世界人類の平和と幸福という大いなる祈りを終生捧げ続けた。
特筆すべきは、この神業を万人に分かち与えて其の拡充を計り、以て真の神国を再建せんと努力されたことである。昭和56年11月20日開祖様は神となられた。
我れ幽界に入りて後は一層神と人との中に立ちて
まことある人々を守り導かん
1935年 | 昭和10年10月23日 | 「神道大教出雲教釜山教会」を設立、この日を本教の立教記念日とする |
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1942年 | 昭和17年 | 開祖の口から突然御歌が出るようになり、それを「御神教」として教団の教えとする |
1945年 | 昭和20年9月 | 終戦により日本に帰国、九州唐津に上陸 |
1945年 | 昭和20年10月23日 | 御神示により岡山県小田郡笠岡町(現、笠岡市)へ |
1949年 | 昭和24年10月 | 御神示により笠岡市の応神山宮地に御聖地を定め教会を建設 |
1953年 | 昭和28年 | 「宗教法人 出雲教古乃美大教院」として活動を開始 |
1972年 | 昭和47年 | 「宗教法人 出雲古乃美教本院」として独立教団の認可を受ける |
1981年 | 昭和56年 | 開祖の御帰神(享年85歳) |
1992年 | 平成 4年 | 「宗教法人 古乃美教本院」と改称する |
2015年 | 平成 27年 | 「宗教法人 古乃美教」と改称する |
2019年 | 平成 31年 | 令和元年の共に御本殿を「白雲大社」と改称し、現在に至る |